エル ミタージュ 美術館はサンクトペテルブルクにある美術館で小エル ミタージュ、旧エル ミタージュ、・・・

エル ミタージュ 美術館のエル ミタージュはもともとフランス語で「隠者の庵」あるいは「隠れの間」を意味します。すなわちエル ミタージュは、ヨーロッパ各国の皇帝や国王が私的に構えた「離宮」として、建てられたものなのです。エル ミタージュ 美術館の始まりは、ルネサンス期のイタリアに起源があるとされ休息の場所だったのです。その後エル ミタージュ 美術館が約100年をかけて完成しました。そして、エル ミタージュ 美術館では約300万点もの美術作品が収集されています。

エル ミタージュ 美術館は、大英博物館、ルーブル美術館、とともに世界の三大博物館と言われています。エル ミタージュ 美術館も他の美術館と同様に美術品の収集といった点では同じですが、他の二つの博物館・美術館とは性質がかなり違っています。それは第一に、エルミタージュ美術館のあるロシア・サンクトペテルブルクが歴代皇帝の居住地でもあったということです。エル ミタージュ 美術館は冬宮殿を中心とした5つの建物で形成されています。エル ミタージュ 美術館を構成する5つの建物とは、冬宮殿、小エル ミタージュ、旧エル ミタージュ、新エル ミタージュ、エル ミタージュ 劇場です。

エル ミタージュ 美術館に入場し、冬宮殿をまっすぐ歩いていけば、大使の階段に突き当たります。ロマノフ朝の時代、各国大使はこの階段を通って皇帝に謁見をしていました。エル ミタージュ 美術館、冬宮殿の階段を少し登ると螺旋階段になっているので、そこを登り切るとそこが2階です。エル ミタージュ 美術館の2階には白い大理石の階段に赤いカーペットが敷かれています。周囲の窓、これは偽窓なのですが、そこにはめ込まれた鏡が空間をより広く見せてくれます。エル ミタージュ 美術館は、壁の装飾からして豪華そのものです。

エル ミタージュ 美術館には、「玉座の間」とも呼ばれる空間があります。別名ピョートル大帝の間という名前ですが、実際には玉座はアンナ女帝(在位1730〜1740)のためにイギリス人工芸家によって造られた物で、ピョートル大帝(在位1682〜1725)がここに座ったことはありません。。また、エル ミタージュ 美術館の内部には1000を超える部屋があり、エルミタージュ美術館の創設者であるエカテリーナ2世が収集したものを含め、帝政ロシアが世界各国から集めた300万点といわれる壮大な美術品が納められ、ミケランジェロ、エル・グレコ、ゴヤ、レンブラント、カラヴァッジオ、モネ、ミレー、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャン、マチスなどの代表的なものが展示されています。

エル ミタージュ 美術館の冬宮殿の3階からは宮殿広場とアレクサンドルの円柱が見えます。エル ミタージュ 美術館から見える宮殿広場は、ロシア暦1905年1月9日(西暦では1月22日)の「血の日曜日事件」の現場でもあるのです。パンを求めた平和的な請願に対してツァーリの軍隊は無差別発砲で応えたのでした。もはや、皇帝に対する信頼は断たれました。ニコライ2世が倒されるのはこの12年後でした。エル ミタージュ 美術館には、このようにさまざまな歴史の上に建っている美術館なのです。
外山康雄水彩画集 折々の花たち―野の美術館